「ぼっち飯」を食っている人が本当に孤独かどうかはわからない

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「ぼっち飯」という言葉がある。
自分も実はひとりでお店で食事することが、自分にとっては厳しい行為である。
牛丼チェーン、回転寿司、カレーチェーンあたりはなんとかなる。
なぜならば、そこにいる客は「おひとりさま」のことも多い。

だがファミレスあたりになると微妙である。
一応、ワタシはランチタイムならギリギリOKである。
だが他の時間帯はやってみたことが無い。

そうなるともちろん一般的に有名な料理店なんかは一人で入ることなんてできない。
焼き肉屋なんて絶対できるわけがない。

以前「ひとりビアガーデン」をしている人を見たが、もはや鉄人クラスとしか思えない。
「ひとりディズニーランド」に匹敵するくらいのレベルだ。

「ひとりビアガーデン」や「ひとりディズニーランド」をできる人の精神力は鉄だと思う。
だがワタシは「水で溶けるトイレットペーパー」くらいの精神力である。

弱すぎる。
でも仕方が無い。弱いのだから。
だからこそ昼食をどうするのかだけでも、他の人よりも迷ってしまう。
そして選択肢は「ぼっち飯」を選択してしまう。

それを考えるとひとりのほうが楽しいのかとも思えてしまう。
他人といることが自分にとっては苦手なのかも?

でも、もしかしたら他人といることは得意であるかもしれない。
ただ単に自分が「孤独」であるという可能性も十分にある。

そう思うと「ひとり」でいることが自分にとって幸せであるのか、ストレスに感じることなのか悩んでしまう。
内心では「ひとり」でいることは好きだと思う。
実はワタシは世間的には「外交的」な人間と思われているらしい、でも実は「ひとり」でいることが好きな内向的な人間であると自覚している。

どこかで自分を使い分けているということでなんとか今の自分を保っている。
おそらく世間でも「外交的」と思われている人が実は「内向的」であったり、「内向的」と思われている人が表現下手なだけで実は「外交的」な可能性もある。

 

それを思うと人は本当に「見た目」や「印象」で判断してはいけないと思う。
必ず、初対面や表面的な印象ではわからない「真実の姿」があるはずだ。
それを見抜くことができる人間こそ、ある意味では人生の成功者への一歩が近づくのではなだろうか?