人はなぜFacebookで完璧な人生を演じるのか?Facebookの反対軸としてのブログ

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リア充・ぼっちなんて言葉が出来てもうかれこれ長くなるわけですが、この戦いが顕著に表れているのがFacebookではないでしょうか。

そしてFacebookには、リア充的な投稿がいっぱいなわけであります。

ぼっち的な投稿は、ほとんど見ることができません。

そこには「完璧な人生」というのが明らかに演じられているとしか思えないのです。


SNS内での見えない競争「20代のほとんどが”完璧な人生”をFacebook上で演じようとしている。」|リーディング&カンパニー株式会社

上記リンク記事によると20代のほとんどが「完璧な人生」を演じようとしているそうです。

まあ、20代じゃなくても「完璧な人生」を明らかに演じている人っていうのが、すごくわかる投稿っていうのがあります。

投稿した本人はそうバレていないと思っていても、十分にバレています。

 

なぜ20代がFacebookで完璧な人生を演じるのか?

どうして20代がFacebookで完璧な人生を演じるのか?というと、やはり就職・転職に対する備えではないかと思います。

そして更に他人がそうやって演じることによって、何らかの「危機感」みたいなものを感じて防御的に自分も演じるようになってしまったのではないでしょうか。

 

就職・転職先の企業の担当者も応募者のFacebookを見たりするわけです。

それがもう誰でも読める展開ですから、当然のように20代の若者が「完璧な人生」を偽装するわけです。

そしてそれを見た、それ以外の年代の方々までもが「完璧な人生」を書き始めてしまうわけです。

 

もうこうなるとFacebook上では「幸せな日本」というとても素敵な状況になるわけです。

ときどき「ペットが死んだ」とか「知人・親族が死んだ」くらいしか不幸なことは投稿されません。

いたって普通の生活というものが投稿されることというのは激減しています。

 

Facebookの反対軸としてのブログ

その反面、ブログの世界では「ぼっち」であることが語られたり、ネガティブなことが記事になっていたりします。

これはブログはある程度の匿名性があり、全ての知り合いが見ている可能性が少ないという安心感からではないでしょうか。

 

またブログのほうが文章量がいっぱい書けるというイメージ(もちろんFacebookでもある程度書けますが)が先行している部分もあるでしょう。

文章が長文になるにつれ、書いている人の気持ちが出てきます。

 

Facebookでの一般的な投稿というのは、だいたい5〜10行くらいで写真を添付するというような感じでしょう。

ブログというのは好きな位置に写真を配置し、長文を書くことが出来ます。

短文ならTwitterのほうがマシでしょう。

 

Facebookではどうやって書いていくか

Facebookをどうやって使っていくかは、様々な人が悩んでいると思います。

そう毎日「完璧な人生」を演じることができないという人は多いでしょう。

その結果、更新をすることをやめてしまうというパターンはあります。

 

個人的に思っているのは、無理にFacebookの更新をしなくてもいいのじゃないかと思います。

月に数回の「生存報告」程度の文章を投稿するだけでいいのではないでしょうか。

Facebookの利点というのは、遠方の知人とゆるくつながることができるということです。

 

年賀状みたいなものだと思って、自分の「生存確認」を投稿するくらいの気持ちでいれば楽なものです。

月に数回くらいなら投稿ネタだってあると思います。

無理に「完璧な人生」を歩まなくても済むのではないでしょうか。

 

もちろん20代の若者も「完璧な人生」なんて投稿したところで、人事の採用者なんかは似たような投稿で飽き飽きしています。

それならば、本当にありのままの投稿でいいと思うのです。

 

意識高い系を演じても、仮に失敗したら普通にやっている人よりも大きな精神的ダメージを受けるでしょう。

その結果、疲れ果ててニートになるなんて誰でも嫌だと思います。

 

もうそろそろ「完璧な人生」をFacebookに投稿するムダなことは止めてみるべきではないでしょうか。