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死をやたらと語る人間に限って、生きる執着心が強い件

生きかた・考え方

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最近、ふと思ったのですがやたらと「人間いつ死ぬかわからない」とか「もう死ぬ」とか言っている人に限って「生きること」への執着心が強いのじゃないのかと。

普通に生活していると日常会話の中に「死んでしまう」みたいな言葉なんてゲーム以外では言わないと思います。

だけど世の中には一定数の割合でやたら滅多らと「死」を語りまくる人がいます。

もうその人にとっては軽い感覚で「死」を語っているのじゃないのかと思うくらいです。

ライトスタイルな死なわけです。

 

でもその言葉をまともに受け取ってはダメなんだなと、気がつきました。

「この人はやたらと死を連呼するが、生き残ることへの執着が半端無い!」と段々思えてきたのです。

「いつ地震で死んでしまうか、わからん」なんて言っているくせにしっかりと防災グッズを準備していたりするわけです。

 

死という単語で自分を鼓舞している人もいる

「俺はこの仕事が失敗したらもう死しかない」なんて宣言する人もいますが、基本的には失敗しても死ぬことは現実にはありません。

本人的には背水の陣というような感覚なのでしょうが、それがわからない人にとってはただごとではないと思えて心配でなりません。

でもその心配はほとんど無意味だと思って間違いありません。

 

もちろん、精神的にボロボロになってしまって現実に死を選択する人がいるのも事実です。

しかしそれはまた少ないケースだと思っても大丈夫じゃないかと思います。

ほとんどの人は「生きたい」と思っているのですから。

 

生きることは大変だけど、一番大事なこと

現代社会は貧困の問題や社会的ストレス問題など、様々なことがあって本当に生きづらいものであります。

だけど、つらいのはわかるけど踏ん張るしかないと思います。

ギリギリまで、様々な手段を使ってでも生き残ることが必要です。

もちろんそれでも失敗してしまったら、社会に助けを求めることも決して恥ずかしいことではありません。

生き残るべきなのです。

 

海外への資金援助よりも国内に資金を回す時代に

 

本当ならば一部の人たちが行っている海外への援助もそろそろ考えを変えるべきなのではと思えてきます。

すなわち海外への援助のことなのですが、そろそろ国内に苦しんでいる人がいるのだから、そんな人々への救済を行うべきじゃないかと思うのです。

 

たしかに貧しい海外の人々を救うというのは、わかりやすい募金だと思います。

だけど現実には、一日を生きることができるかどうかの人々が国内にもいるのです。

そんな目の前の現実を無視していいのでしょうか?

もはや無視できない状況になっているとしか思えないのです。

 

そんな現代で死をやたらと語る人たちというのは、他人をハラハラさせるだけであるのだと思います。

でも自分を鼓舞するために「死を覚悟の気持ちで」なんて感じで言っている人は、きっと生き残ることを考えているのだなと思っていればいいのだと考えていればいいのです。

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